悲しみに心縛られるひとへ。
願わくば、その痛みが少しでも癒されますように。
夢語り
ツバメが数羽、くるくると輪を描きながら飛んでいく。
ここ数日、雨が降り続いた後の快晴。梅雨の中休みと日曜日が重なるという幸運に恵まれて、この機に、独特の柔らかさをなくした布団を干そうと縁側へやってきたのだが。
「――どうしていつもいきなり現れるのよ、凪」
この家の住人である自分に許可も取らずに日だまりに腰掛けていた青年に向かって、玲は呆れ混じりに呟いた。凪と呼ばれた青年が、事も無げに笑ってこちらを振り向く。
「どうしてって……僕が君の家に突然現れるのは、今に始まったことじゃないだろう? 理由を聞く必要なんてないと思うけどね」
「――あのね、凪。私だって、いつもみたいにただ単に突然現れただけなら、別に文句言わないのよ?」
「え?」
凪が、心底不思議だと言わんばかりの顔をして、何か問題でも、と問いかけてくる。先程から感じていた苛立ちが割り増しになったのは気のせいだろうか。
(――こっちの気も知らないで)
胸中で一人ごちて、彼の隣へと静かに腰を下ろす。久々に姿を見せた太陽の光が、すぐそこまで迫っている本格的な季節の到来を実感させるように輝いていた。
「一週間と二日」
唐突にある日数を述べて、凪の目を見つめる。日本人の彩色そのままの瞳には、疑問が浮かぶばかり。解ってないな、とピークに達しかけた苛立ちを抑えるように、玲はため息をついた。
「梅雨入りしてから昨日まで、太陽が雲に隠れてた日数。それと」
いったん言葉を切って、大きく息を吸った。わざと視線をはずしてから、彼に対して最大の文句を告げるべく口を開く。
「――あんたが学校に来なかった期間。まったく、毎年言ってるのにどうしてこうサボるわけ? 出席日数足りなかったら否が応でも単位落とされるわよ、もう高校じゃないんだから」
心配してるのよ、私は。
言外にそういった色を滲ませて隣を見ややる。ようやく玲の心境を理解してくれたらしい。凪は、眉尻をほんの少しだけ下げて見返してきた。
「悪い悪い。いつものことだから気にしてないと思ってたんだけど、心配させてたなら謝るよ。すまなかった」
「そう思ってるんだったら、まずはその休み癖を何とかしなさい。本当に単位落として留年しても知らないわよ」
「それは嫌だなあ」
反省の色はなし。本当に解っているのかと問い返したかったが、そうする前に凪が口を開いてしまったので、叶わなかった。
「――解ってるつもりなんだけどね、自分では。でも、いざ目の前にそれが来るとダメなんだ。雨が降ると、余計にね」
切ない色を帯びた横顔。乾ききっていない地面に落とされる視線。彼の脳裏に浮かんでいるのは、誰かの笑顔。彼が、守りたくても守れなかったもの。
「今更って思うかもしれないけどね。やっぱり考えちゃうんだよ。もしも、って」
「はいはい、その台詞はもう何回も聞きました。今年になってからは初めてだけどね」
今日の空模様と正反対の彼の思考を遮り、呆れを隠さずに告げる。
普段の数倍の速さで下降していく彼の思考を食い止めてやるのは、一番付き合いが長い自分の仕事。それは、今回も同じで。
「忘れろ、とは言わない。でも、過去に縛られすぎるのはだめよ。もう、取り返しのつかないことなんだから。それに――お兄ちゃんがそんなこと考えてるって知ったら、汐里ちゃん悲しむよ」
凪の思考回路を支配していると思われる人物の名前を出すと、彼は、切ない色を残したまま、唇の端を少しだけ上げた。
「夢を――最近、よく見るんだ」
そういえばね、と思い出したように告げて、数分もたたないうちに、凪は沈黙を破った。視線だけを返す。風が吹き抜けて、二人の髪を揺らした。
「闇の中に、一人で立ってるんだ。何もない、真っ暗な闇に。ここはどこなんだろう、って途方に暮れてさ。そこに、声が――汐里の声がどこからともなく聞こえてきて、僕は姿を探し始める。走って、走って、走り回って。でも、どこにも居なくて、気づいたら声も聞こえなくなってて。・・・怖かった」
また思考回路が下降し始めたのだろうか。どこか遠い目をして語る彼に、いたたまれなさを感じる。
「ねえ、凪――」
「最後まで聞いてよ、玲」
制止の声は完全に遮られてしまう。仕方なく口を噤む自分の姿を確認したのか、凪はまた口を開いた。
「怖くて、怖くて、立っている事すらもできなくなって。どうしようもなくなって、泣きそうになった――その時だった」
ふつりと声が途切れて。どうしたんだろうと、顔を上げる。
そこにあったのは、真っ直ぐにこちらを見つめる瞳。切なさは僅かにその痕跡を残してはいたが、なりを潜めていて。
「君が、来てくれたんだ」
言葉と共に現れたのは、実年齢より幼い印象を与える笑顔。唐突に起きたことに相槌さえ打てないまま唖然としていると、凪は、大して気にした風もなく言葉を続けた。
「何も言わずに、ただ、暗闇から連れ出してくれたんだ。他の誰でもなく、玲、君が」
「……何よ、それ……」
そんな話を、仮にも女性である自分に聞かせるだろうか。ましてや、『君が来てくれた』なんて、端から見たら恋愛感情を告白している以外の何ものでもない。幼馴染ということを除外しても、躊躇う様子もなくそんな言葉を口にする事ができるのは、天性の感覚のズレ故。それを証明する様に、凪は、黙りこくってしまった玲の前で、何かまずいことを言っただろうか、と首をかしげている。
玲は、そうじゃなくて、と前置きをして、ある意味賞賛に値するであろう天然さを持つ彼に向かって口を開いた。
「『君が来てくれた』なんて、女の子の前で言ったら告白と勘違いされかねないわよ」
「ああ、そうか。すまない、今度から注意するよ」
「いったい何回目だと思ってるのよ、まったく・・・。それと、その言い方じゃ、私が救世主か何かみたいじゃない」
「お気に召さなかったかい?」
「そういう問題じゃないわよ、他に言い方はないのかって言ってるの」
私は、救世主気取りで凪を救い上げたわけじゃない。
そう続ければ、発言の張本人である彼は、一瞬間を置いて破顔する。何がおかしいのか、と、眉根を寄せて問いただせば、声を押し殺して笑いながら、ごめん、と詫びてきた。
「だって、仕方ないじゃない。玲にそんなつもりがなくても、僕にはそう思えたんだ。」
それに。
「昔も、今も――君が僕を支えてくれてることに、変わりはないじゃないか」
心底からの笑顔。そんな顔で、そんな台詞を言われてしまえば、こちらに勝ち目はない。
「……もう、いいわよ」
呟いて、心の中で白旗を上げる。凪の天然さは筋金入り、と改めて認識しながら、玲は頭を抱えた。ここまで来ると、もはや感心と尊敬の域である。
「――で、来るだろ?」
「何に」
「墓参り。本当は明後日が命日なんだけど、都合が合わなくてさ。だから、今日行こうと思って。幸い空は泣き止んだし、玲はどうかな、と」
話題の転換が唐突な上に、問いかけは確認にみせかけた強制。それを意識せずにやってのけてしまうから、手に終えないのだけれど。
「布団、干してからね」
――それが心地よいと感じている自分も、確かに存在するのだ。
END
―――――――――――
あとがき
やっとこ修正……っていってもぶっちゃけ殆ど直していないのですが、終了しました。
学校の課題で提出したものです。
テーマは男女間の友情。
人によっては恋愛に見えなくもないらしいですが……まあその辺はおいといて。
玲が女の子、凪が男の子、途中で出てきた名前は「しおり」と読みます。
長々とお疲れ様でした。
Up date 2004.11.8.
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